昨日は勉強会で面白いことがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強会の先生が、以前

目の前の人に対し

愛で返す練習(ワーク)を

していたときに、

目の前の人から

愛どころか

倍返しのゴミみたいなものが返ってきて

余計おちこむ

みたいなことがあったと

おっしゃった。

 

 

それをきき、

私は、夫とよく

テニス🎾の錦織圭の話をすることを

思い出した。

なぜ、錦織は、グランドスラム(🎾の4大大会)で

優勝できないのか?

 

 

 

夫は、そんなとき、

錦織圭は、日本人として体が小さいとか

メンタルが弱いとか

サーブがいまいちとか

勝てない理由を言う。

毎回なんとなく、

一緒に気分が悪くなってしまい、

話を終わりにしていた。

 

 

話はなんとなく

終わりにしているもの

相手に愛で返せないということが

私のココロに残り、

先生の話と重ね合わせ

質問しようとした。

 

 

そのとき

あ!!!

気付いた。

 

 

夫は、

誰より錦織圭を応援しているのだ。

応援してるからこそ、

技術を認めているからこそ

現状がはがゆく

夫は🎾テニス経験がある上級者で

いままでの歴史で

多少なりともメンタルのことも

夫なりにわかるからこそ

勝つ難しさを感じているのでないか。

 

 

言葉では、ネガティブととれる言葉で、

私が表現する言葉とは違うものの

「応援している」という意味では

私と同じではないか。

 

 

とわきあがった。

私は、「ネガティブ」だという

三日月でとらえ、そのあと

夫と話をするのが

面倒になったりしていた。

 

 

ちょっとした

こういう勉強会でも

まるで真我開発講座みたいになる。

 

 

ほんとうの自分を追究するというのは

予想もしないことが起こる。

 

 

そうこうしていると

ちょっとした家事のあいまに

流してしまった話の反省なども

沸き起こる。

 

 

私は、いままで黄金に背を

むけてきたのかもしれない。

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